MGC2019男子マラソン|代表2枠をつかんだのは誰か?名勝負の全記録

MGC2019男子マラソン|代表2枠をつかんだのは誰か?名勝負の全記録

マラソンでオリンピック代表が決まるレースって、そんなに特別なの?

そう思う人もいるかもしれません。

しかし、2019年に開催されたMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)は、日本マラソン史に残る“劇的な一発勝負”でした。

レースをかき回した設楽悠太選手の大逃げ、終盤に代表の座をかけて火花を散らした中村匠吾選手・服部勇馬選手・大迫傑選手の競り合い。

そして何よりも、このレースの結果が「2年後」の東京オリンピック代表を決めてしまったという事実。

この記事では、MGC2019のレース結果と展開、さらにその後に訪れた東京オリンピック延期の背景までをわかりやすく解説します。

中村匠吾と服部勇馬が東京オリンピック代表に内定、大迫傑は3位で届かず

MGC2019の男子マラソンでは、30人のトップランナーが東京オリンピック代表の座をかけて激突しました。

最後まで勝負の行方が読めない展開のなか、中村匠吾選手と服部勇馬選手が代表の座を掴み、大迫傑選手はわずかに届かず3位。

トップアスリートたちが見せた駆け引きと勝負強さに注目が集まりました。

この章では、代表入りをかけた3人の終盤戦を解説します。

中村匠吾、ラストスパートで振り切り東京オリンピック代表に内定

中村匠吾選手は、MGC2019で見事優勝し、東京オリンピック代表の座を勝ち取りました。

レース序盤は2位集団の中で冷静に展開し、前半から独走した設楽悠太選手を無理に追わず、集団の流れに身を委ねる判断を貫きました。

中盤以降、徐々に設楽悠太選手との差が縮まるなかでも焦ることなく体力を温存し、終盤の勝負所に備えていきます。

勝負の分かれ目となったのは39km付近の上り坂。

ここで中村匠吾選手は力強くスパートをかけ、服部勇馬選手や大迫傑選手を突き放す展開に持ち込みました。

一度は大迫傑選手に追いつかれる場面もありましたが、ラスト800mの急坂で再び加速。

トップを守り抜き、2時間11分28秒でフィニッシュラインを駆け抜けました。

最後まで勝負勘とスタミナを発揮し、見事な逆転劇で代表の座を手にしました。

服部勇馬、粘りの走りで逆転2位に浮上

服部勇馬選手は、冷静なレース運びと最後まで諦めない強い気持ちで、東京オリンピック代表の2枠目を手にしました。

レース序盤は2位集団の一角として安定した走りを見せ、集団内の変化にも動じることなく自分のリズムを保ちました。

20kmを過ぎたあたりからペースを上げ、積極的に先頭に出る場面もありましたが、決して無理をせず、全体の流れを見ながら着実に前へ進んでいきました。

終盤には中村匠吾選手と大迫傑選手との三つ巴の展開に持ち込まれましたが、最後の上り坂で勝負強さを発揮。

41km手前で少し遅れる場面もありましたが、ラスト300mで加速し、大迫傑選手を逆転。

2時間11分36秒でゴールし、代表入りを決定づけました。

走力と精神力の両面での成長が光ったレースとなりました。

大迫傑、3位で惜しくも代表内定を逃す

大迫傑選手は、レース終盤まで優勝争いを繰り広げる力走を見せましたが、わずかに及ばず3位となり、東京オリンピック代表の即時内定には届きませんでした。

レース中盤から積極的に前へ出て、鈴木健吾選手や服部勇馬選手、中村匠吾選手らとともに2位集団の牽引役を担いました。

35kmを過ぎ、設楽悠太選手が失速したタイミングでは、勝負の流れが一気に加速。

37km以降は、中村匠吾選手、服部勇馬選手、橋本峻選手とともに4人の先頭集団を形成し、緊張感のあるレースが続きました。

40km付近では下り坂を活かして一度は中村匠吾選手に並びかけ、先頭争いに加わりましたが、残り800mの急坂で再び引き離される展開に。

その後、服部勇馬選手にもかわされ、2時間11分41秒で3位フィニッシュとなりました。

全力を尽くした末の結果とはいえ、本人にとっては悔しさの残るレースとなったに違いありません。

設楽悠太の大逃げがレースを動かした|名勝負を生んだ勇気ある挑戦

MGC2019を語るうえで、設楽悠太選手の大胆な「大逃げ」は欠かせません。

序盤からトップを独走したその姿は、レースの緊張感を一気に高め、他の選手の展開にも大きな影響を与えました。

挑戦的な走りが名勝負を生んだと言われる理由とは?

この章では、設楽悠太選手のレースとその功績を解説します。

設楽悠太が序盤から独走、日本記録ペースでレースをけん引

設楽悠太選手は、MGC2019の号砲が鳴ると同時に飛び出し、スタート直後から他の選手を大きく引き離す驚きの展開を作りました。

最初の1kmを2分57秒で通過し、その後も3分前後のペースを維持。

気温26.5℃、湿度63%という厳しいコンディションの中、5km地点では14分56秒という、日本記録ペースをわずか3秒下回る速さで先頭を独走しました。

銀座や日本橋など東京の名所を通過する間も、後続との差をどんどん広げ、20kmでは2位集団に2分以上のリードを築きます。

中間点の通過タイムは1時間3分27秒で、勝負というよりは一人旅と呼べるような展開が続きました。

観客からは大きな期待と驚きの声が上がる中、設楽悠太選手は淡々と前だけを見て進んでいきました。

35kmでペースが落ち、2位集団が一気に差を詰める展開に

設楽悠太選手の快走は、25kmを過ぎたあたりから徐々に勢いに陰りが見え始めました。

30kmまではなんとか粘っていたものの、この5kmの区間でタイムが16分台に落ち込み、35kmまでの区間ではさらにペースが鈍化。

この5kmの通過タイムは16分54秒と、スタート直後のキレを失いつつありました。

その間、2位集団は鈴木健吾選手や中村匠吾選手、服部勇馬選手らが中心となってペースを上げ、追い上げの動きを強めていきます。

37km手前で集団はついに設楽悠太選手の背中をとらえ、飯田橋から市ヶ谷に向かう急な上り坂で一気に逆転。

ここでレースは大きく動き、主役の座が交代する瞬間となりました。

大胆な大逃げでレースを動かした設楽悠太選手、名勝負の立役者に

設楽悠太選手は、MGC2019において序盤から一人飛び出す「大逃げ」を敢行し、レース全体を大きく動かしました。

前々日の記者会見でもその意志をにじませてはいたものの、実際の大一番でそれを実行に移すには、並々ならぬ覚悟と度胸が必要です。

設楽悠太選手はその期待を超え、スタート直後からトップを独走。

1km、2kmと差が開くたびに、プレスルームは騒然とし、記者たちの間で「これは逃げ切るのか?」という興奮が高まっていきました。

単なる奇策ではなく、日本記録を上回るペースで突き進んだその走りは、結果として2位集団のレース運びにも大きな影響を与えました。

設楽悠太選手を追うか、集団で温存するかという判断が各選手に求められ、ただのけん制合戦ではない高度な駆け引きが展開される展開に。

その緊張感が選手の真の実力を引き出し、最終的に中村匠吾選手、服部勇馬選手、大迫傑選手という、駅伝ファンにもなじみ深い3人による劇的なラスト3kmの競り合いを生み出しました。

日本陸連の瀬古利彦マラソン強化戦略プロジェクトリーダーは、「面白かったのは設楽くんのおかげ」「この大試合でああいうことができるのはすごい」と、その勇気あるレースメイクを称賛しています。

設楽悠太選手のチャレンジがなければ、MGC2019はこれほど語り継がれる名勝負にはならなかった。

そう断言できるほど、彼の存在は大きな意味を持っていました。

2年前にマラソン代表決定、まさかの東京オリンピック延期

MGC2019で東京オリンピック代表に内定したのは、オリンピック本番の10カ月前のはずだった。

しかしその直後、世界は予期せぬ事態に見舞われます。

新型コロナの影響で東京オリンピックは1年延期となり、選手たちは長期間にわたって調整を強いられることに。

さらに、代表選考の是非をめぐる議論も起きました。

この章では、代表決定から延期発表までの流れを解説します。

本来は東京オリンピックの約1年前に代表決定のはずだった

MGC2019は、2020年に開催予定だった東京オリンピックに向けて、前年の9月という絶妙なタイミングで行われました。

中村匠吾選手と服部勇馬選手がこのレースで代表に内定したことで、レース後からおよそ10カ月という十分な準備期間を経て本番に挑むはずでした。

日本陸連としても、暑さに対応したコースでの一発勝負によって、オリンピック本番に適応できる選手を選び出す狙いがありました。

代表が早期に決まることで、その後のトレーニング計画やピーキング調整を明確にできるという利点もあり、選手・関係者ともに納得感のあるスケジュールが描かれていたのです。

新型コロナの影響でオリンピックが1年延期、選手の調整に大きな誤算

しかし、2020年初頭から世界を襲った新型コロナウイルスの感染拡大により、東京オリンピックは2021年夏への延期が決定されました。

これにより、中村匠吾選手と服部勇馬選手は、MGCから実に1年10カ月もの間、代表としての状態を維持し続けなければならなくなります。

通常ならピークを合わせる予定だった2020年夏を乗り越え、その1年後に再び体調を整える必要が生じたことで、想像以上の精神的・肉体的負担がのしかかりました。

また、出場予定だったレースが中止になるなど、実戦を積む機会も限られたため、モチベーションやリズムの維持にも苦労する状況が続きました。

延期によって代表選考の是非も議論に、しかし方針は変わらず

東京オリンピックの延期が正式に決定したのは、2020年3月24日のことでした。

その直前に開催された東京マラソン2020では、大迫傑選手が2時間5分29秒という日本記録を樹立し、MGCファイナルチャレンジ枠で3人目の代表に内定していました。

これにより、男子マラソン代表3名がすべて確定した直後に、オリンピックの1年延期が発表された形になります。

東京オリンピックの延期により、「代表選考をやり直すべきではないか」という声が一部で上がりました。

選考から本番までの期間が空きすぎることへの懸念や、公平性への疑問が指摘されたのです。

しかし日本陸連は、MGCという明確な制度に基づいて選ばれた結果であることを重視し、内定済みの3選手に変更は加えない方針を貫きました。

その結果、中村匠吾選手、服部勇馬選手、大迫傑選手の3人が、日本代表として2021年の東京オリンピックに出場することが正式に決定しました。

想定を大きく上回る長期の調整を強いられたものの、「選考レースで勝った者が代表になる」という大原則が守られたことで、制度の一貫性と信頼性は維持されたといえます。

まとめ:設楽が動かし、中村と服部がつかんだ東京オリンピックへの切符

  • 中村匠吾選手と服部勇馬選手が東京オリンピック代表に内定
  • 設楽悠太選手の大逃げがレースを大きく動かした
  • コロナ禍により代表決定からオリンピック本番まで約2年の空白

MGC2019は、単なる代表選考レースを超えたドラマが詰まった大会でした。

序盤から設楽悠太選手がレースを動かし、終盤では中村匠吾選手・服部勇馬選手・大迫傑選手による緊迫の争いが展開。

そして、まさかの東京オリンピック延期により、決定から本番まで約2年にわたって代表を維持し続けた選手たちの覚悟もまた、この大会を特別なものにしました。

名勝負の背景を知ることで、改めて東京オリンピックの男子マラソンが見えてくるはずです。

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