安藤友香のマラソンプロフィール|忍者走りで代表入りをつかんだ軌跡

安藤友香のマラソンプロフィール|忍者走りで代表入りをつかんだ軌跡

両腕を下げて静かに駆ける。

まるで忍者のような独特のフォームで走る安藤友香選手。

その走りは一度見たら忘れられないインパクトを残します。

初マラソンでいきなり日本歴代上位に食い込み、一躍脚光を浴びた安藤友香選手は、その後も順風満帆というわけではなく、挫折や試練を重ねながら、自分らしい走りを磨き続けてきました。

そして今、東京2025世界陸上の代表に内定し、再び世界の舞台へ挑もうとしています。


この記事では、安藤友香選手のプロフィール競技成績、代表歴までを通して、その魅力と強さの原点に迫ります。

安藤友香のマラソンプロフィール|忍者走りで注目された異色のランナー

独特のフォームと地道な努力で注目を集める安藤友香選手。

彼女の走りがどのように生まれ、どんな道を歩んで才能を開花させたのか。

初マラソンで歴代上位に食い込んだ快走の背景にも迫ります。

この章では、安藤友香選手のランナーとしての成り立ちと成長を解説します。

独特の「忍者走り」が生まれた背景

安藤友香選手といえば、腕を大きく振らず、静かに地面を捉えて進む「忍者走り」が代名詞です。

両腕を下げたまま、ほとんど上下動のないフォームで、ひたひたと駆けるその走りは、観る者の印象に強く残ります。

この独特のスタイルは、特定の誰かに教わったというよりも、多くの出会いと経験の積み重ねによって自然に形作られていったと、安藤友香選手は語っています。

スズキ浜松、ワコール、そして現在所属するしまむらと、複数のチームを渡り歩く中で、それぞれの指導者や仲間からのアドバイスを受け、自分に合ったフォームを追求してきました。

その結果が「今の走り」です。

特別なテクニックに頼らず、日々のトレーニングと多くの人との出会いから生まれたこの走りは、安藤友香選手自身の努力と柔軟さを象徴するスタイルといえるでしょう。

豊川高校から社会人へ、紆余曲折のキャリアスタート

中学で長距離の才能を見出された安藤友香選手は、陸上の名門・豊川高校へ進学。

全国高校駅伝では、1年時に2区、3年時には1区を任され、チームの優勝に貢献しました。

トラック競技でも3000mを中心に力をつけ、着実に実績を積んでいきました。

高校卒業後は、実業団チーム「ミズノ」で競技を続けますが、2年で退団。

その後、時之栖を経て、2014年にスズキ浜松アスリートクラブに移籍しました。

環境や指導者との出会いを求めて移籍を繰り返すなかで、安藤友香選手自身も葛藤を抱えながら模索を続けていた時期だったと言えます。

スズキ浜松では、里内正幸コーチとの出会いが大きな転機となりました。

フォームの改造や走力の強化に着手し、安藤友香選手の持ち味が磨かれていきます。

ここでようやく、長距離ランナーとしての道が固まり始めたのです。

スズキ浜松で才能開花、初マラソンで日本歴代4位へ

マラソン挑戦の舞台として選んだのは、2017年3月の名古屋ウィメンズマラソン

安藤友香選手にとって初めてのフルマラソンでしたが、その走りは誰もが目を見張るものでした。

2時間21分36秒という当時の日本歴代4位の快記録でゴール

初マラソンとしては日本人最高タイムという、驚きのデビュー戦となりました。

この一戦で、一気に全国にその名が知れ渡り、「忍者走り」で世界と戦える選手として注目を浴びることになります。

静かなフォームの奥にある、確かなスピードと持久力。

その魅力が、ようやく大きな舞台で花開いた瞬間でした。

安藤友香のマラソン実績|成績と歩みでたどる競技人生

安藤友香選手は、初マラソンから世界の舞台へと駆け上がり、幾度も苦難を乗り越えながら成長を続けてきました。

近年では再び自己ベストを更新し、東京2025世界陸上代表にも内定。

ここでは、代表入りまでの歩みと、彼女の走りに込められた思いを振り返ります。

この章では、安藤友香選手の実績その背景を解説します。

初マラソンから世界陸上へ|2017年の衝撃

2017年の名古屋ウィメンズマラソンで2時間21分36秒の快走を見せた安藤友香選手は、この一本で世界陸上ロンドン大会の日本代表に選出されました。

初マラソンで当時の日本歴代4位という記録は、まさに衝撃的です。

迎えた8月の世界陸上本番では、序盤は冷静に集団でリズムを刻んでいましたが、20kmを過ぎてペースが変化すると徐々に遅れはじめます

安藤友香選手は「気持ちが引いてしまった」と振り返り、集団の揺さぶりに怖じ気づいて自ら動きを止めてしまったと悔しさをにじませました。

終盤も粘りは見せましたが、清田真央選手に次ぐ日本人2番手の17位でフィニッシュ。

世界の壁の厚さを痛感するレースとなりました。

それでも、初マラソンから半年足らずで世界の舞台に立ち、最後まであきらめずに走り抜いた経験は、その後のキャリアに確かな意味を持つものとなります。

オリンピック挑戦とMGCでの苦悩と挑戦

世界陸上での経験を経て、安藤友香選手は2020年東京オリンピック出場を目指し、本格的な強化に取り組みました。

2018年の大阪国際女子マラソンでは、終盤で苦しい場面に直面しながらも粘りを見せ、3位でゴール。

マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)出場権を手にします。

翌年、初のオリンピック代表選考会となるMGC本番では、スタートからハイペースで進む先頭集団につき、積極的な走りを展開しました

しかし、18km付近でペースについていけなくなり、以降は失速。

数人の選手に追い抜かれ、2時間36分29秒の8位でレースを終えました。

結果として代表入りは叶いませんでしたが、勝負にこだわる姿勢や、苦しい中でも最後まで走り切る強さは、着実に成長を重ねている選手としての存在感を確かに感じさせるものでした。

名古屋ウィメンズでの復活と自己ベスト更新

長く更新できなかった自己記録を、安藤友香選手は再び名古屋の地で塗り替えました。

2024年の名古屋ウィメンズマラソン

初マラソンの舞台でもあったこの大会で、2時間21分18秒の自己ベストをマークし、見事に優勝を果たしました。

レースは気温5℃の肌寒さの中、序盤からハイペースで進みました。

安藤友香選手は海外勢や国内の有力選手とともに先頭集団を形成し、中間点を1時間9分56秒で通過。

その後、30kmを過ぎてやや足に重さが出始めましたが、加世田梨花選手と並走しながら粘り続け、39km付近でチュンバ選手に追いつくと、41km過ぎに前へ出ました

最後はしっかりと差をつけ、7年越しの自己新記録とともにフィニッシュ。

苦しい場面での粘り、そしてラストでの決断力は、安藤友香選手の成長と自信を感じさせる走りでした。

最新の成績と東京2025世界陸上代表内定

名古屋ウィメンズでの勝利等により、安藤友香選手はJMCシリーズの女子チャンピオンに輝き、東京2025世界陸上のマラソン日本代表に内定しました。

シリーズを通して安定した結果を残し、その総合力が高く評価されました。

2025年の春、代表発表の場で「1つでも上の順位を目指して走りたい」と語った安藤友香選手。

2017年ロンドン大会以来となる世界選手権でのマラソンは、8年ぶり2度目の挑戦となります。

前回は初マラソンから半年での世界挑戦でしたが、今回は数々の経験を重ねたうえでの再挑戦です

課題と向き合いながら積み上げてきた自信、そして変わらない感謝の気持ちを胸に、安藤友香選手は再び世界と向き合います。

2021年の東京五輪ではトラック種目で代表となりましたが、今度は東京の街を舞台に、マラソンランナーとして再び輝こうとしています。

安藤友香の歩みと代表歴|中学時代から世界大会までの軌跡

競技人生の始まりから、世界を舞台に戦う代表選手となるまで。

安藤友香選手は、環境の変化にも柔軟に対応しながら、着実に力を伸ばしてきました。

中学・高校時代の歩みや、これまでの日本代表歴を通して、彼女の軌跡をたどっていきます。

この章では、安藤友香選手の成長の過程代表経験を解説します。

出身地・生年月日・所属チーム

安藤友香選手は1994年3月16日、岐阜県海津市に生まれました。

地元の大江小学校、日新中学校を経て、愛知県の豊川高校に進学。

現在は、しまむら女子陸上部に所属しています。

実業団としては、これまでにミズノ、時之栖、スズキ浜松アスリートクラブ、ワコールを経て2024年にしまむらへ移籍。

環境が変わっても、常に競技への姿勢はぶれることなく、各チームで経験を積みながら成長を重ねてきました。

所属先が変わるたびにスタイルを進化させ、走りに新しい風を取り入れてきた柔軟性は、安藤友香選手の強みのひとつです。

中学・高校時代の実績

中学ではハンドボール部を希望していましたが、部員数の関係で陸上部に転部。

800mや1500mを中心に競技へ取り組み、全国都道府県対抗女子駅伝にも2度、岐阜県代表として出場しています。

高校では、全国高校駅伝で2度の区間出場を果たし、3年時には1区を任され、チームの優勝に大きく貢献しました

全国高校総体では3000mで9分台を記録するなど、トラックでも着実に力を伸ばしていました。

当時の記録や成績が突出していたわけではありませんが、堅実に力を積み上げていく姿勢と、安定した走りはこの頃からすでに光っていました。

マラソン・10000mでの日本代表歴

安藤友香選手が初めて日本代表として世界の舞台に立ったのは、2016年の世界ハーフマラソン選手権。

日本人トップの10位に入り、その後の飛躍を予感させる走りを見せました。

翌2017年には、名古屋ウィメンズマラソンで初マラソン日本最高記録を樹立し、世界陸上ロンドン大会に出場

17位という結果に悔しさは残ったものの、初の世界大会でフルマラソン完走という経験を積みました。

2021年には、東京オリンピック女子10000mに出場。

結果は22位でしたが、マラソン代表を逃したあとに種目を切り替え、粘り強く代表の座をつかみ取った姿に、多くの人が心を動かされました。

そして2025年、8年ぶりとなる世界陸上でのマラソン代表に内定。

走るたびに経験を積み重ねてきた安藤友香選手が、再び世界の大舞台に挑みます。

まとめ:安藤友香、苦難を越えて再び世界へ|“忍者走り”が導いた代表の座

  • 安藤友香選手は独自の「忍者走り」で注目を集める存在
  • 初マラソンで日本歴代4位の快記録を樹立し世界へ
  • 東京2025世界陸上のマラソン代表に内定し再び世界へ挑む

安藤友香選手は、独特のフォームと柔軟な対応力を武器に、長距離界で着実な歩みを続けてきました。

初マラソンで一気に脚光を浴びた後も、挫折や試練を経験しながら、自らの走りを磨き上げてきました。

そして2024年には再び自己記録を更新し、東京2025世界陸上の代表に内定

8年越しとなる世界の大舞台で、どんな走りを見せてくれるのか。

その挑戦から目が離せません。

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