2025年3月2日、東京マラソン2025のスタートラインに、ひときわ注目を集める選手が立っていました。
太田蒼生選手(青山学院大学4年)。
箱根駅伝のヒーローが卒業前に選んだ舞台は、いきなり世界トップクラスが集まる国際マラソンでした。
初マラソンながら「たれるかもしれないけど、突っ込んでいく」と宣言。
記録ではなく、日本人1位だけを狙う覚悟のレースに挑みます。
結果は無念の途中棄権。
しかし、攻め続けた走りには、次のオリンピックにつながる多くの収穫がありました。
目次
太田蒼生、東京マラソン2025で初マラソンに挑戦
2025年3月2日、東京マラソン2025に太田蒼生選手(青山学院大学4年)が初挑戦しました。
学生駅伝で活躍した太田蒼生選手が、世界の強豪が集う舞台でどんな走りを見せるのか、多くのファンが注目しました。
この章では、レース前の背景とレースプランを解説します。
初マラソンで世界トップレベルに真っ向勝負
2025年3月2日、東京マラソン2025に太田蒼生選手(青山学院大学4年)が出場しました。
太田蒼生選手は箱根駅伝2025・4区区間賞を獲得した実力者。
学生駅伝のスターが、卒業前に初マラソンという大きな挑戦に踏み出します。
その舞台に選んだのは、世界の強豪が集う東京マラソン。
国内外のトップランナーがひしめくレースに、自ら飛び込む決断は、ファンにも驚きを与えました。
目指すのはタイムではなく、「日本人1位」。
記録以上に勝負にこだわる太田蒼生選手らしい初マラソンが始まります。
「たれるかもしれないけど、突っ込んでいく」覚悟のレースプラン
レース前、太田蒼生選手は「たれるかもしれないけど、突っ込んでいく」とコメント。
慎重な入りではなく、序盤から攻めるレースを選びました。
目標は日本人1位。
勝負を避けるような走りはせず、自分の力を信じて世界の先頭集団についていく覚悟です。
この強気なレースプランに、ファンも大きな期待を寄せました。
結果がどうなるかはわからない。
それでも逃げずに挑む姿勢こそ、太田蒼生選手らしさといえます。
歴史的ハイペースに果敢に挑んだ序盤戦
東京マラソン2025は、スタート直後から世界記録を超える驚異的なペースで進みました。
そんな中、太田蒼生選手は初マラソンにもかかわらず先頭集団につけ、積極的な走りを見せます。
この章では、序盤から中間点までのレース展開を解説します。
1km2分48秒!世界記録ペースの猛ダッシュ
スタート直後から、東京マラソン2025は歴史的なハイペースで動き出します。
最初の1kmは2分48秒。
いきなり世界記録を上回るペースに、各選手の表情も緊張感を増していきます。
その中で、太田蒼生選手は一歩も引くことなく先頭集団に加わりました。
5km通過は14分24秒。
続く10kmも28分54秒と、驚異的なタイムで進みます。
初マラソンとは思えない積極的な走りで、世界の強豪に真っ向から挑みました。
先頭集団で堂々と走り続けた20kmまで
その後も太田蒼生選手は果敢に集団の中で粘ります。
15km通過は43分29秒。
さらに20kmでは58分7秒を記録。
中間点は、ハーフマラソン自己ベストを上回る1時間1分19秒と、歴代の日本選手と比べても圧倒的なスピードでした。
初マラソンでこれほど積極的に攻めるランナーは稀です。
「太田蒼生、世界に挑む」。
そんな姿に、沿道の声援も一層大きくなりました。
この果敢なチャレンジに、ファンの胸も熱くなったはずです。
22kmから始まった苦闘、そして無念の途中棄権
順調に見えた太田蒼生選手の初マラソンは、22km過ぎから流れが変わりました。
先頭集団から少しずつ遅れ始める苦しい展開に。
それでも最後まで粘り続けようと、必死に足を運びます。
この章では、苦闘の後半戦と途中棄権に至るまでの流れを解説します。
先頭集団から脱落…それでも諦めない
22kmを過ぎると、太田蒼生選手の表情には明らかな苦しさが見え始めます。
それでも簡単には崩れず、前を追い続けました。
28km付近で、第2集団に吸収されると、そこには赤崎暁選手(九電工)や池田耀平選手(花王)の姿もありました。
その後すぐ、29km地点でその集団から遅れ始め、日本人1位の座を他の日本人選手に譲る形となります。
この時点で、太田蒼生選手の表情には苦しさが色濃くにじんでいました。
日本人トップ陥落、30km以降は「我慢のレース」
一度ペースを崩すと、立て直すのは簡単ではありません。
30kmを過ぎると、太田蒼生選手の足取りは重くなり、ペースダウンが加速します。
30kmから35kmの区間にかかった時間は18分。
初マラソンの厳しさが、ここで一気に襲いかかりました。
そして36km地点、ついに無念の途中棄権。
太田蒼生選手の挑戦は、悔しさとともに幕を下ろしました。
それでも、攻め続けた姿は多くのファンの記憶に残ったはずです。
レース後のコメント「次はオリンピックで勝つ」
レース後、太田蒼生選手は東京マラソン財団を通じてコメントを発表しました。
悔しさをにじませつつも、その表情には前を向く強い決意が感じられます。
この章では、レース後の言葉と、そこに込められた思いを解説します。
レース後のコメントでも明かされた体調トラブル
レース後のコメントでも、太田蒼生選手は低体温と低血糖に苦しんだことを明かしました。
「自分のやりたいレースはできた」と振り返る言葉には、攻め続けた結果としての体調不良も含まれています。
スタート時の気温は13度、ほぼ無風という絶好のマラソン日和。
この走りやすい条件が序盤からの超ハイペースにつながり、レースは歴史的な速さで進みました。
しかし、30kmを過ぎる頃には気温が20度近くまで上昇。
気温が上がるにつれ、発汗量が増加。
この過程で水分や栄養補給が十分にできず、低体温と低血糖に陥ったと考えられます。
序盤の飛ばしすぎ、中盤の補給ミス。
この両方が重なり、途中棄権という悔しい結末を招きました。
それでも、「最初から逃げずに攻めた」姿勢には、太田蒼生選手らしさが表れています。
オリンピック金メダルへ、世界に飛び込んだ第一歩
レース後、太田蒼生選手は「前半から自分のやりたいようにレースを運び、世界のレベルを知れて良い経験ができました」とコメントしました。
世界の先頭に立つためには、まずは自分を世界にさらすことが必要だと考え、初マラソンから積極的に仕掛ける姿勢を貫きました。
そのうえで、「3年後のオリンピックで勝つための第一歩になった」とも語り、悔しさを糧に未来への目標を明確にしています。
初マラソンで求めたのは完走ではなく、世界トップと正面からぶつかる経験。
目指すのは、3年後のオリンピックで金メダルをつかむことです。
そのために必要な課題を、初マラソンで一つずつ見つけることができました。
結果以上に価値ある一歩を踏み出した太田蒼生選手。
この経験が、未来への確かな力につながっていきます。
まとめ|太田蒼生、攻め続けた初マラソン、その経験を未来への力に
- 太田蒼生選手が東京マラソン2025で初マラソンに挑戦
- 序盤から果敢に先頭集団につけるも、36km地点で無念の途中棄権
- 結果以上に「攻めの姿勢」と「世界との差を知る経験」を得るレースに
太田蒼生選手は、初マラソンから世界トップレベルと真っ向勝負。
その強気な姿勢は多くのファンの心をつかみました。
結果は悔しい途中棄権でしたが、3年後のオリンピックで勝つための第一歩として、貴重な経験を積む場となりました。
攻めの走りで掴んだ課題と手応えを、未来への力に変えてくれるはずです。